鮮血の月――
隔絶都市にのみ起こる特殊な天体状況である。
男は紅い月を見上げていた。
ビル風が彼のコートの裾を優しく揺らす。
どこからともなく流れるロックミュージック。
この場所において、これらの事は既に日常と溶け込んでいる。
『We keep staying in the nightmare.(僕達は悪夢の中に留まり続けている)』
「また、その歌なの?」
男の後ろから幼い少女の声が聞こえた。
『However, do not forget.(だが、忘れてはいけない)』
男が少女のほうを振り返る。
「伊織はロックは好きじゃなかったね。」
「キライと言うわけじゃないの。
でも、毎日同じ曲だと、飽きてしまわない?」
「でも、そろそろ頃合だよ。」
「頃合?」
首をかしげた少女に対し、男は月を指差した。
「鮮血の月――そろそろ、頃合だ。」
男がコートを翻し、ビルの淵へと向かう。
曲が最後の一行を綴っていく。
『The thing of not deciding the nightmare that doesn't end. (終わらぬ悪夢など決して無いのだから。)』
「だが――僕の悪夢はまだ覚めないのさ。」
男がビルから身を躍らし、夜の街へとダイヴする。
「虚空――始まるんだね。」
少女は、眼窩に見える男に視線を向けながらそう呟いた。
「裁定者――葛西浩介――」
少女が見つめる先には、姿を変える事のない壁が聳えていた。
「見つけ出す、必ず――!!」
#03 Nightmare - Triple Crimes -
轟音と共に列車が駅へと入ってくる。
隔絶世界の玄関である第八地区において列車は異例とまで思われるほどの停車時間をとる。
だが、当然いつかは発車するわけで――
「おい!奈央!!乗り遅れるぞ!!」
「桜花?駅弁、そんなに買っても食べきれないって!!」
玄関だけあって土産物屋は充実している。
同時に駅の売店の見物といえる駅弁も、10種類を越える種類が用意されている。
魚介物、肉物、更には得体の解らない物まで。
「また、ここにこれるとは限らないじゃない!
あ、おじさん。そこのストラップも!......あ、これもかわいい!!」
「全種類制覇せねば......後々、それが悔しくて眠れなくなったらどうすればいい!
お前にその責任が取れるのか!!?」
そうなれば夢中になってしまう人も当然いる訳であり――。
「ボブさん!その荷物、運んでおいて!!!」
「わ、わかったぜ......!」
荷物運びという悲しい性を追う人物もいたり――。
「もう待ちくたびれた!どうして、女ていうのはこんなに買い物好きなんだ!!」
とか愚痴りだす奴もいたり――する訳である。
「あのー、もうそろそろ発車するので......。」
この怪しすぎる団体に向けて駅員は恐る恐る話しかけた。
「すみません......絶対間に合わせますので!」
「おら、テメェら!さっさと引き上げろ!!」
「あ〜ん、このぬいぐるみも可愛い。」
「何、貴様ッ!別のメニューがあるといったのか!?
吐け!吐かぬと、その首、切り落とすぞ!!」
二人の男達は頭を抱え、その場に蹲った。
「それじゃ、色々と世話になったな。」
ボブが浩介へと手を伸ばす。
「ああ、お前らも元気でな。」
浩介もボブへと手を伸ばす。
「それじゃあ、またどこかで。」
そう言うと浩介は列車へと乗り込んだ。
「しかし、予定より30分も遅れるとはな......。」
物が無造作に詰まれた列車の中である。
「す、すまぬ......。」
桜花が小さくなりながら謝る。
「だって、可愛いんだもん......。」
奈央が子供のように頬を膨らます。
「篠崎は時間に厳しいからな......また、始末書だな。」
「私が書く義理はない。」
「そういうのは普段から素行が悪い人のほうが書きなれているよね?」
「ちょ、おま......!俺が書くのか!?」
『もちろん。』
奈央と桜花の声が綺麗にハモった。
物が投げられあう、車内。
浩介はそれらを上手くよけながら自分のシートにまで辿り着いた。
「お待たせ。」
向かい合った四人がけの残った座席に浩介が座り込む。
ちなみに、その間は山のように詰まれた弁当が存在を主張していた。
「おい、あいつら、手を振ってるぞ?」
章吾が窓の外を指差す。
その先ではボブ達が手を振り続けている。
アナウンスと共に列車が静かに動き出す。
「さらば、第八地区......てとこか?」
「似合わないセリフは止めてよね。」
「黙らっしゃい!ド畜生!!」
浩介は窓の外を見続けていた。
(覚えておこう。
ここから、俺の物語が始まったんだって――。)
電車が動き始め、ボブ達はホームに取り残された。
「なんだか、騒がしい人達でしたね。」
「でも、清々しい騒がしさでしたよ。」
「でもボブのほうが男気満点だぜ!」
「ハハハ......本当に長くて騒がしい一日だったぜ。」
列車がもうすぐ目に見えなくなる。
「まぁ、あれだ。別れのダンスでも、一丁やるか!!」
『OH,YEAH!!!!』
奇声と共に男達が回りだす。
駅員はこのホームから逃げ出せない自分の職務を呪った。
「あー、マジたりぃ……」
「何してるんだい、章吾は?」
章吾がメモ用紙に、始末書の下書きを書いていた。
彼をその責務に追い込んだ二人はのんびりと――
「上がり!!」
「ヌ、私が貧民だと……!?」
二人だけの大貧民を楽しんでいた。
「まもなく第六地区に到着いたします」
車内にアナウンスが流れる。
「ここには新たな駅弁があるのか――!?」
「もうやめろ。いや、やめてください。」
列車がスピードを落し始める。駅が見えたのだ。
「お前ら、ここで下車禁止な。
これ以上遅れたら俺が殺される。」
「えー。」
「そんな横暴が許されるとでも!?」
「怒られるのは俺なんだ!!!」
章吾が聞き分けのない二人に向かい叫ぶ。
それははたから見ると遠足のような光景であった。
「......。」
浩介は後の喧騒に耳を傾けることもなく、ただ外を見ていた。
その内面を覆う感情は不安――未知なる院と言う組織に対する不安であった。
電車がゆっくりと動き出す。
「下りるのは次の駅だ。
一応篠崎に連絡を入れておくよ。」
章吾が携帯を取り出して、扉の外へと歩く。
「そんなに緊張しないでもいいと思うよ。」
奈央が浩介の顔を覗き込みながら呟いた。
「変人揃いだけどさ、みんないい人だから。」
その時、廊下に怒声が響き渡った。
項垂れた顔で章吾が席へと戻ってくる。
「どうかしたのか?」
「始末書、用意してあるって......ハァ、休暇が潰れちまう。」
「ご愁傷様〜。」
「もういいや......何も言う気起きないから、せめて寝かせてくれ......」
そう言うと、章吾はシートのリクライニングを最大まで倒した。
現実から僅かな時間でも逃避する為に――。
電車がゆっくりと駅へと入る。
荷物をまとめホームへと降り立った彼らを待っていたのは一人の中年の男だった。
横で章吾が舌打ちをするのが浩介には聞こえていた。
「随分と遅い到着だな、霧崎章吾。」
「そいつは、どうもすみませんねぇ、篠崎さんよ。」
篠崎と呼ばれた男が章吾へと紙を手渡す。
「予告どおり報告書、くわえて始末書だ。」
「やりゃぁ、いいんだろ...」
章吾は紙を受け取ると、大きくため息をついた。
「さて、ようこそ。裁定者君。」
先ほどまでの険悪なムードなど無かったかのように篠崎がこちらを向く。
「私達、院は君を歓迎する。」
「は、はぁ。」
「といいたいのだが――」
「いいたいのだが?」
言いよどむ篠崎を見ながら桜花が続ける。
「水瀬君。終わって早々悪いが、新たな任務だ。」
「俺には労いすらねぇのか!!?」
章吾の叫びはいつもどおり無視される。
「それほど大変なものではないよ。
彼をつれて、この場所へ行って欲しい。」
篠崎はそう言うと、奈央へとトランクケースと小さな紙を手渡した。
「これは?」
奈央がトランクを受け取りながら篠崎へと問いかける。
「正装が必須なようなのでな。
サイズが合わなかったら遠慮せず言ってくれ。」
彼が手渡したトランクの中にはスーツをはじめとする衣服が入っていた――。
院から僅かに離れた喧騒。
高級レストランが立ち並ぶ一種の上層街がある。
スーツに身を包んだ男達が闊歩する場所。
そこは明らかに浩介と奈央にとっては場違いな場所だった。
「本当にここなのかい?」
「ええ、『LostHeaven』。そこが集合場所よ。」
前方には輝く「LostHeaven」のイルミネーション。
「覚悟を決めていくしかないようだな......」
二人は何も大人への階段を昇ろうとしている訳ではない。
篠崎が渡した紙に書かれていた場所は、他でもなくこの上層街の一角であった。
御堂真尋――彼らはその男に会うように言われていた。
二人はある意味、未知の世界とも言える場所への階段をゆっくりと下りていった。
薄暗い室内に仄かに輝く蝋燭の光。
アダルティな雰囲気を醸し出すその個室に浩介と奈央は通された。
「御堂様から言伝を承っております。」
ボーイがそう言うと浩介へと手紙を渡す。
「お飲み物は何をご用意いたしましょう。」
「水2つ。」
「かしこまりました。」
ボーイは一礼して部屋を出て行った。
「ワインとか頼んだほうが良かったのかな?」
「俺は酒は苦手だし、重要な話をするんだったら素面じゃなきゃまずいだろ?」
「そうだね。」
奈央はコートをたたみながら頷いた。
5分ほどの時が流れたであろうか。
明らかに二人にとっては、この場所は場違いであった。
正確には桜花もいた為、三人であったが――。
その静寂を打ち破る小さな物音がした。
ドアがノックされたのだ。
「失礼。」
ドアが開くと同時に静かな声がした。
振り向けば、そこに長身の男が立っている。
端正な顔立ち。僅かに金色に光る長髪。
スーツを着こなしたその姿は、まさに上流階級を象徴するかのようであった。
ただ、男を常人ならしめているのは、一本の槍。
袋に包んである物のその形状から、明らかにそれは武器としての槍であった。
「葛西浩介、並びに水瀬奈央さんですか?」
「ええ、貴方は?」
「待ち合わせの時間に遅れてしまってすまない。
私が御堂、御堂真尋です。」
そう言うと、真尋は椅子に腰掛ける。
「それではディナーを始めましょうか」
まるで、その声を合図とするかのようにボーイ達が料理を運んできた。
総額でいくらするのだろうか。
浩介は食べながらそんな事を考えていた。
「篠崎さんに無理を言ってしまって申し訳ない。
でも、火急の用事があってね。」
真尋はグラスを置いて話し始めた。
「浩介君。君が裁定者だという事、それは事実なのだよね?」
「うむ、間違いない。」
横に座った桜花が浩介の代わりに答える。
既に真尋が来た時点で、桜花も人間の姿を取っていた。
この場には桜花を含めて5人の人間がいた。
5人目――、それは真尋の槍である。
浩介は真尋の横に座る女性のほうを向いた。
御堂沙穂、それが彼女の名前である。
彼女は桜花と同じように人間ではない――すなわち、魔具である、
しかし、公では彼女は真尋の妹という事になっているらしい。
「ならば、尚更浩介様に伝えねばならない事でしょう。」
沙穂が真尋を促す。
「わかっているよ、私もそれを伝える為にここに来たんだ。」
「対の存在、断罪者――ですか?」
奈央が不安そうに問いかける。
真尋はかぶりを振りながら、3文字の応えを返した。
『狩猟者』と。
真尋の説明は、ほとんど浩介の耳を通り抜けていった。
全ての事態を把握することができるほど、浩介はこの世界に博識ではなかった。
ただ、そんな彼にもわかる事――いや、正確には桜花に聞かされていた事。
『人でありながら、業と手を組む物もいる。
上級になればなるほど、業の姿も人と類似する。
つまり、意思の疎通が出来るという事だ。』
桜花の言葉が鮮明に思い出される。
『双方の間に愛が芽生える場合もある。当然、繁殖も可能だ。』
業と人の間に生まれた存在。
現実(ヒト)と非現実(業)の間に生まれた産物――居場所無き存在。
彼らは己の存在を得る為に、狩りを行う。
彼らが狩る存在――それは、紛れも無く裁定者なのだ。
「信頼できる機関からの情報です。
狩猟者のトップクラス『ナインオブナイヴス』に動きが見えました。」
「ナインオブナイヴス?」
「断罪者側に位置する9本のナイフを意味するグループです。
いずれもが強力な能力者であり、全てが人と業とのハーフです。」
「ああ、奴らか。」
沙穂の説明を聞きながら、桜花が頷く。
「前の戦いにもいたな。確か――事実上の統率者であった破軍は死んだと憶えているが?」
「全てが死に絶えたわけではないのです。
彼らは断罪者と手を組み、浩介君を狙ってくる。」
そう言いながら、真尋はワインに口をつけた。
「残念ながら、院と教会、そして政府。
人間側の陣営はすこぶる仲が悪い。断罪者達に比べると遥かに――。」
しばらくの間、誰も喋る事ができなかった。
ただ黙々と、フォークとナイフの音が聞こえるだけであった。
ボーイ達の手によってデザートが下げられる。
「食事の場でするお話ではなかったかもしれない。
だが、事態は急を要している。」
真尋がコートを羽織ながら浩介へと話しかけた。
「別にいいですよ。
不謹慎かもしれないけど、俺はまだ実感がそんなに湧かないんです。
この世界において、俺は何なのか――俺は本当にこの世界に存在しているのか。
そんな風に、時々思うんだ。」
真尋はその言葉一つ一つに対して頷いた。
「この世界は私達には厳しすぎる。
現実と非現実が融合しているのだからね――。
時々、思うことがあるよ。全てが夢なのではないか――とね。」
「真尋さん――。」
「さぁ、キャッシュもすんだ様だし、外へ出ようじゃないか。
何なら、親睦を深める為にもカラオケでも行くかね?」
「気をつけてくださいね、浩介様。
真尋様の歌う歌は、非常にマニアックなものですから。」
「何を言うか。アニメソングは芸術だ!!!」
「はは......。」
奈央が、僅かながら引きつった笑いを返し、外へ出て行く。
沙穂と真尋もその後へと続いた。
「誰もが同じ事を考えている。
自分は夢を見ているだけなのではないか、とな。」
桜花が歩きながら呟いた。
「だが、それら全てがこの世界の現実なんだ。」
その声はあまりにも小さく、浩介にしか聞こえる事は無かった。
静まり返った夜の街。
3時間のカラオケボックスにおける真尋のステージを終え、彼らは帰路にいた。
「とても疲れたぞ...」
すっかり剣の状態に戻った桜花が、疲れ果てた声を出す。
「自分で歩けよ...。」
「女性を大切に扱えと、習わなかったのか?」
桜花が不平を零す。
それを見た奈央がクスリと笑う。
遥か前では真尋と沙穂が二人並んで歩いていた。
「私はまだ歌いたりん!」
「でも真尋様。皆さんお疲れのようですし......。」
真尋は俗に言うマイクを持つと性格が変わるタイプの人間であった。
浩介と奈央は僅か2曲しか歌えなかったのだ。
ワインが回っているのか、顔を僅かに赤くした沙穂が真尋の相手をしながら道を歩く。
その後を浩介と奈央が続く。
その刹那、景色が歪んだ。
どれほど歩いたのだろうか。
歩けど歩けど見えるはずの駅は見えてこない。
駅どころか、人通りが多いはずの商店街は無人と化していた。
「何か、おかしくないか?」
溜まりかねた様に浩介は横を歩いている奈央へと問いかけた。
「うん、この感覚――まるで何か別の場所に――」
そんな最中、先頭を歩いていた真尋と沙穂が突然歩みを止めた。
前方に一人の少女がいた。
地面に座り込んでいた少女は、こちらを見てクスリと笑う。
そして、その後に確かに在る漆黒の闇。
紡がれる言葉は例えるならば死神の誘い。
「葛西浩介、やっと見つけたよ。」
その言葉で桜花と沙穂が臨戦形態へと入る。
真尋が辺りを見回す。
そして、彼は一つの結論に至った。
「なるほど、外界と閉ざされたか。」
「その通り――」
歪んだ空間の何処からか別の声が聞こえる。
しかし、その声は反響を繰り返し、発生者の居場所を特定する上では役に立たない。
「浩介――気をつけろ。」
手の中の桜花から、緊張が伝わる。
浩介は真横に聳えたビルの屋上から、かすかな物音が聞こえた気がした。
しかし、それは確実な現実として浩介に襲い掛かる。
刃を構えビルの屋上から急降下しながら、男は静かに呟く。
「覚めない悪夢を君に―ー」
黒いコートの男の翳した手から無限の闇が顎を開けた。
景色が暗転する中、真尋には浩介がその闇に飲み込まれていくのが見えた。
閃光――
眩く路地が照らされる。
「裁定者は“虚空”が相手をする。
だから、私は残り物の掃除だよ。」
閃光の中で少女――伊織は両手を伸ばす。
その手の先に火球が二つ生まれた。
「そういう事だから、早く消えてね――。」
伊織が力ある言葉――術式を解き放つ。
「『誘うは焔の律動』!!!」
その焔は浩介のものよりも遥かに雄々しく、優美とさえ言えた。
威力も恐らく申し分なく、まともに喰らえばただの人間など焼き尽くされてしまうだろう。
だが――。
「私は基本的に頭脳労働担当なんだがね。」
閃光が次第に薄れていく。路地が景色を取り戻す。
その果てに映る者は一振りの突槍(ランス)、そして御堂真尋。
「魔具――」
「先に言っておくよ。私は日々紳士であろうとしている。
だが、紳士である以前に――戦士だ。」
御堂真尋が槍を構え、大地を蹴る――。
「敵対者に容赦するほど、この私は甘くない!!!」
その声は静か過ぎる町に響き渡るには十分であった。
浩介がいないのを奈央は確認していた。
「浩介はどこ!?」
その問いを無視するかのように伊織が火球を放つ。
「恐らく別次元だ。もう一人の男は空間能力者だろうな。」
その焔をなぎ払いながら、真尋が応える。
「どちらにせよ、彼女を倒さねば満足な答えは得られないだろうな!」
真尋がスーツの上着を地面へと放り投げながら、駆ける。
伊織はそれを見てから術式を展開する。
【加速式】術式。【連殺式】と同様の応用術式である。
通常の術式の僅か1/5というハイテンポで伊織は術式を解き放つ。
迫り来る無数の火球に舌打ちしながら、真尋は弾幕を正面から突きぬけようと槍を構える。
沙穂は桜花と違いサポートに重点が置かれたタイプの魔具である。
すなわち、前方に結界を張りながら突撃する事で、被害を最低限に済ませようとした訳である。
「甘いよ!!」
伊織が叫ぶ。
翳された腕が煌くと同時に、真尋の足元の大地が爆ぜた。
「『誘うは爆ぜる大地』。一種のトラップスペルだよ。」
その声を聞きながらも、火球は真尋へと次々と襲い掛かる。
光の壁が彼を守護したのは、火球に真尋が焼き尽くされようとした瞬間であった。
「『誘うは堅牢なる壁』――」
詠うように奈央が言葉を――術式を紡ぐ。
「沙穂!!」
その瞬間に真尋が叫ぶ。
「無限なる氷弾よ、連なり紡いで敵を蹴散らせ!!!」
沙穂――“槍”が詠唱を開始する。
魔具である彼女は術式は紡ぐ事はできない。
だが、彼女はそれに準じる力を持っている。
合計三人を相手にするという事に、伊織は軽い舌打ちをした。
だが、彼女は追い詰められている訳ではない。
彼女には絶対なる自信があった。
彼女はまだ切り札を一枚も切っていない。
そうした余裕をかすかに顔に見せながら、伊織は無数の氷弾を一蹴した。
真尋の傷を癒そうと奈央が駆け寄る。
しかし、幾ばくか被弾していたはずのその体には然したる外傷はない。
「真尋様が攻撃している間に、私が回復を行っていますから。」
「そういう事だ。奈央君、君にはサルベージをお願いしたい。
あの少女に隙があれば空間の歪を探して欲しい。」
「浩介の為に――ね。」
「ああ、こう言うと彼は傷つくかもしれないが――。
今の彼が虚空という男に勝てる確率は......」
「『ゼロ』」
三人の声が同時にハモる。
浩介がいたならば、きっとこっそり泣いたであろう。
「どちらにせよ、私達が負けてしまっては話にならん。
手の内を見せるのは嫌いだが――『参式(トリプルクライム)』。制限を解除しよう。」
真尋が沙穂を優しく床に置く。
「御堂さんて――もしかして術式使い?」
沙穂は人間の姿をとりながら、奈央の問いかけに答えた。
「いいえ、彼の能力は危険なものですから。
少し、離れましょう。己の欲望に食い尽くされたくなければ――。」
二人が後ろへ下がるのを横目で見ると、真尋はゆっくりと手を伸ばす。
「3つの願いを言ってみるがいい。
どれか一つぐらいは叶えられるかも知れんぞ?」
『参式』――未知の能力が少しずつ解放されていく。
「ただし、大切なものを一つ失うがな。」
それが戦闘開始の合図だった―― |