一陣の風が駆け抜ける。

その風は人為的なもの――いや、人そのものであった。

章吾は急いでいた。

己が手で救える範囲ぐらいは守りたい――章吾は常にそう考えていた。


第零地区――研究棟が立ち並ぶ開発研究地区であった。

隔絶都市を反映させるため、様々な研究がこの場所では行われていた。

彼はその町で生まれた。

父親の顔も母親の顔も見ていない――捨て子であったからだ。

生まれた時から異能力に目覚めていた章吾に親は恐怖し、まるで犬のように捨て去った。

初めての産声を上げたのは焼却炉寸前の所であった。

作業員の一人、七瀬により彼は義理の息子として育てられた。

束の間の平穏――しかし、第零地区という危険分子に対し当時の断罪者は目を背ける事はしなかった。

突如、覆される日常。

眼前に映るは大切な人の死仮面(デスマスク)――慟哭の感情は止まらない。

目の前の敵を殴り倒した。その刹那、何倍もの一撃が章吾を襲う。

「あなた程度の能力には興味がありません。

過去と未来は最高によく思える。現在の事柄は最高に悪い。――シェークスピア。

あなたは生かしておいて上げます。無力感を精々噛み締めなさい――。

未来すら、最高によく思えないように――。」

黒いスーツを着こなした男が、章吾の目の前で大切な女性(ヒト)を蹂躙する。

嘆きの声、懇願の声、そして、苦痛に喘ぐ声――。

それら全てはやがて完全に沈黙する。

動かぬ体に、そして何よりも己自身の無力さに対して、怒り狂い咆哮した。

生まれてはじめて、天を呪った。

町全体に火がつけられる――沈黙させるために。

第零都市はその瞬間、隔絶世界の歴史から消失する。


雨が降り注ぐ。雨は、焼け跡を癒すかのように降り注いだ。

癒しの雨――しかし、焼け跡に取り残された章吾の中に燻る焔は消え去らない。

(いや、消し去るわけにはいかねぇのさ――)

近づいてくる足音。

(奴らの残党か......!)

急いで物陰に隠れる。

例え、相手がどれだけ強かろうと、喉笛に喰らいついてやるつもりだった。

「余りにも酷いか......生存者は、いないだろうな......。」

長躯の男が、顔をこちらへと向ける。

章吾と男の目がひしと合う。

「......良かった、一人でもいてくれた。」

男が近寄ってくる。章吾の警戒などまるで感じないように。

「我々は院と呼ばれている組織の一員だ。

この度の事は我々の手落ちとも言える。申し訳ない。」

「部隊長!?」

若き隊員達から驚きの声が出てくる。

この男は、章吾の前に土下座して許しを請うのだ。

「多くの物が失われた。それ一言で片付けるつもりは我々にもない。」

「ツラ、上げろよ。オッサン。」

章吾は男から眼を背けた。自分の中の復讐心という焔が消し飛ばないように。

「君の拳は血に汚れている。君は最後まで闘ったのだろう。」

「ああ、でも守れなかった――だから、俺は。」

「君はやはり、能力者か。

ならば、我々と共に来ないか?」

男が手を伸ばす。

「......。」

沈黙――ただし、章吾は男についていく。それも良いと思っていた。

だから、黙って男の手を握り返した。

「これで私達は――戦友だ。」

男の言葉が自分の中の炎を揺らがせる。

「君の能力に名前はあるかい?」

「無い。でも敢えて名乗るとするならば――。」

この拳は目的を果たせなかった。だから、壊してしまおう。

そうすれば新しい意味を持たせる事ができるからだ。

「Broken Fist(壊れた拳)。それが俺の捧ぐ墓碑銘(エピタフ)だ。」




    #01 Broken Fist - DOA...(Dead or Alive) -







轟音とともに浩介の横の壁に“大牛”が激突する。

壁はまるで豆腐のように簡単に砕け散り、破片が辺りへと散乱する。

巨体に似合わぬ嘘のような俊敏さに浩介は舌打ちした。

多少の隙さえあれば術式を構成できる――だが、相手にはその隙が無い。

それ以前に、霊子集約という最大の隙を見せた瞬間のほうが危険なのだ。

轟――

巨体が風とともに唸る。

浩介は横へと転がり、それを避けた。

(牛だからか、猪突猛進で回避パターンが判断しやすいのが救いか...)

浩介は瞬間的に頭の中で壁をイメージした。

壁さえ張れれば若干の時間稼ぎが可能なのだ。

幸い、“大牛”の巨体は壁に突っ込んだ際に、どこかを引っ掛けたのだろうか。

まだ、その角が浩介を狙う素振りはない。

『誘うは――!』

「伏せろ!!!」

第三者の声が突如として闇の中から響く。

浩介はその言葉に従い、術式構成を中断すると同時に地面に伏せた。

頭上スレスレのところを巨大な尾が駆け抜ける。

「“牛鬼”相手にソロ、さらには素手とはやるじゃねぇか。

まぁ、さっさと武器を取ってくることだ。もしくは逃げて幸せに眠っちまいな。」

声のほうに振り向くと、青髪を無造作に輪ゴムで止めた青年がホテルの屋根の上に立っていた。

「そいつの相手は俺がしてやるよ。」

青年が“牛鬼”の背中めがけて跳躍する。

「ノロノロすんな!さっさと行きやがれ!」

“牛鬼”の背中へと見事に着地した青年が、カルマの背中に向け拳を叩きつけた。

“牛鬼”が苦悶の悲鳴を上げる。

「楽にしてやっからよ......!」

青年が楽しそうに笑った。

「『壊れた(ブロークン)――拳(フィスト)』 限定解除だ――!!!」

背中から飛び降りた青年に向けて、“牛鬼”が怒りの咆哮と共に突撃 
(チャージ)を開始する。

「そんじゃ、行くぜェェェ!!!」

青年の拳と業の巨体とが激しくぶつかり合い、大地を揺らした。



青年が力を放出すると同時に、浩介もまた走り出していた。

ホテルの階段を一段飛ばしで駆け上がる。

「桜花ッ!!」

部屋のドアを乱暴に開けると、浩介は桜花がいるベッドへと詰め寄った。

「おい、桜花!起きろ!!!」

「何だ、馬鹿者め...。夜這う暇があれば寝ろ...。」

「業だ!」

「ごー?......業だと!?」

「良くわからない奴が俺の代わりに闘ってるんだ。

だから、加勢に――!」

桜花は眠たげに目を擦る。

「だから言ったではないか。

早く眠らないと、寝付くことすら出来ん、と...。」

そう言うと、桜花は不満げに刀へと姿を変える。

「折角良い夢だったのだ。

満干全席、を無料で――」

「お前、食い物魔人な。」

「し、失礼な!花も恥らうこの私に向かって!」

「お前の場合は、鼻だろ。」

浩介は窓から下を見下ろす。

無数の打撃音。そして、骨の砕ける音。


浩介は再び夜の街へと駆け出した。

青年が倒れていないことだけを願って――



鈍い音が響く。骨が折れた音だ。

先ほどから、その音が繰り返し響いている。

哀れな犠牲者が、“牛鬼”の餌となっている訳ではない。

むしろ、犠牲者は“牛鬼”のほうであった。

「ハハッ!!!」

青年が拳を振るうたびに、不可視の衝撃が“牛鬼”へと突き刺さる。

それは文字通り、破壊行為であった。

浩介が路地へと降り立ったときには、既に勝負は決していたのだから。

「よう、いまさらのご到着か?」

青年が月を背にして、浩介へと笑いかける。

その背後には動かぬ肉塊と成り果てた業の姿があった。

「お前一人でこれを?」

「当たり前だろ?こんな低級、俺の相手じゃないさ。」

そう言うと青年は牛鬼の巨体から飛び降りた。

「よっと......お前、怪我はないか?

あるなら、後で来る奴に治療してもらうといい。」

「お前は何者だ?」

その問いを放ったのは浩介ではなかった。

「ほう、そっちのは魔具か。」

青年が浩介のほうへと手を伸ばす。

「鞘くれ。」

「はぁ?」

「声からして女だろ?だから、鞘。」

意味がわからない浩介に対し、桜花はその意味がわかっているようであった。

「絶対に渡すでないぞ、浩介!!」

「あ、あぁ......。」

「つまんねーの、目の保養ぐらいさせてくれても良いだろうにさ。

どうせ、給料出ないんだから。」

「この、エロスめ。」

「自認してるよ。」


ボブ達が到着したのは、桜花と青年が口喧嘩を始めようとした時であった。

「無事か、ソウルブラザー!!」

「あー、このバカ章吾!また迷惑かけてるな!」

ボブの後から後から駆けてきた少女が、懐から鈍器を取り出す。

「おい、待て!俺は、まだ!!」

まさに問答無用。

章吾と呼ばれた青年は頭を抱えて悶絶した。

「ごめんなさい、このバカが。」

少女――奈央が浩介へ向かって頭を下げる。

「いいよ、実際に助けられたのは俺のほうだし。」

「怪我はありません?」

そう言うと、少女が術式を唱え始める。

浩介の体を光が包んだ瞬間、“牛鬼”との戦いの傷は跡形もなく消えていた。

「すげぇだろ。」

浩介の視線の先には自慢げに立ち上がった章吾がいた。

「奈央の癒しの術式は大したもんだぜ。」

「褒めても何もでないよ。」

「あん?」

「そんな事より、お前達は、まさか――」

桜花が刀のまま声を発した。

「あ、はい。院の物です。」

「葛西浩介、並びに魔剣桜花だな?

院宗家篠崎の家からの使いだ。アンタ達を確保しに来た。」

「院?」

目の前に出された書状を人型を取った桜花が受け取る。

「そうか、篠崎の奴がまだ生きていたか――。」

「まぁ、40代だしな。生きてて当然だよ。

今日は遅い。そちらに用事がなければ明日にでも本部へと案内するぜ?」

「うむ、そうだな。そうさせてもらうほうが良いだろう。

“奴”も目覚めている事だろうし......。」

その横顔に不安げな表情を僅かに宿し、桜花が頷く。

だが、当事者である浩介は完全に事情が掴めていなかった。


「ところで、俺達はどうすれば――。」

「ああ、まだいたのか?」

「いるって!!!」

完全に忘れられていたボブ達が話の中に割り込もうとする。

「お前らは、さっさと帰れよ。

次の襲撃が無いとは限らないだろ?」

章吾が無愛想に言い放つ。

しかし、その相棒は彼よりは幾分か丁寧であった。

「このような偶発的なケースの場合、任意同行を求める必要などはありませんので。

このまま、お帰りいただいても結構です。」

「そうか......。」

ボブ達は震えていた。

目の前の人を超えた存在に。そして、目前で起きた惨劇に。

「浩介!その、何だ......またな!」

ボブとその取り巻き達が静かに去っていく。

残されたのは、人にして人を超えた者達。


「さてと、事後処理と行くか。」

「事後処理?」

首を傾げた浩介に対し、章吾はこの上なく面倒くさそうに答えた。

「“牛鬼”は生態上、『つがい』で行動する。

まぁ、俺が潰した奴が独身野郎なら問題はねぇんだがよ。」

それが意味する事は、まだ確実な終りが訪れたという訳ではないという事。

恐らく、二人がボブ達に何も問いかけず、帰らせたのはそれが解っていたからであろう。

「ここから先は私達の仕事です。浩介さんはお休みになられて結構ですよ。」

奈央の態度は正に客を相手にするような態度であった。

彼女や章吾にとって、浩介は戦力外としか思われていないのだろう。

浩介は自分の中に、そう考えて落ち込んでいる自分がいることを発見した。

(巻き込まれないほうがいいのにな......。

どうして俺は、自分を騒動の渦中に身を起きたいなんて思っているんだろう......。)

「あの、浩介さん?大丈夫ですか?」

そう考えている間にも奈央は何かを話していた様だ。

返答が無いことを心配し、少女が浩介の顔を覗き込む。

「あ、ごめん......少し呆けていた。」

「えっと、明朝にまたこのホテルに伺わせていただきます。

そうですね、お昼ぐらいでしょうか......。」

「ああ、わかった。」

「それじゃ俺達は狩りに行く事にする。

まぁ、精々いい夢でも見てくれや。」

青年が屋根の上へと、跳躍する。

「あの、気にしないでくださいね。章吾の奴、口が悪いですから。

それに、戦えない事は悪い事じゃないんです――

その手を血に汚すなんてこと......本当はしないほうがいいんですから。」

少女は弱々しい笑顔を浮かべ、浩介へと背を向ける。

(口に出されたほうが......よっぽど傷つくよ。)

浩介は自分の手を震わす感情が歯痒かった。

恐怖でも、怒りでもない。悔しさである。

(俺は戦力外......クソ......!!!)

壁に拳を叩きつける浩介に対し、桜花は何も言おうとはしなかった。



二人の男女が夜の街を駆ける。

先を進む男――章吾が辿るのは鮮血の臭い。

その臭いは徐々に強みを増してきている。

「少し急ぐぜ。」

奈央の返答を待つよりも早く、章吾が加速する。

「最悪な予想、当たっちゃったね――!!」

曲り角を抜けると、そこは既に惨劇の跡地であった。

血に濡れた街路樹。

無惨に“牛鬼”の巨体にプレスされた遺体が転がっていた。

「既に息はないよ……。」

「運が悪かったとしか言えねぇよ。

しかし、デカブツ。移動してやがるな。」

この場をどう見渡しても、“牛鬼”の姿は見つからない。

「別の被害者が出る前に、倒さないと――。

血の臭いが強くなる。

すぐ傍に惨劇の場所が存在しているらしい。

角を曲った先に見えたのは――

そして、聞こえた悲鳴は――。

怒り狂う“牛鬼”の巨体が被害者――ボブ達を襲っていた。


「運悪いな、アイツら!!鉢合わせかよ・・・!!」

章吾が力を解放しながら走り出す。

「奈央!治療!俺が野郎をぶっ潰す!!」

「うん!!」

章吾が『拳』から力を放出する。

しかし、その一撃は“牛鬼”に届く前に霧散した。

「ハァ!?」

「術式防御壁が形成されてるわ。」

奈央の発言に章吾が目を丸くする。

もっとも、その驚きは不自然な物でもなんでもない。

低級の業の中で術式、ましてや中等術式である術式防御壁を構成できる物が存在するはずが無い。

ましてや、“牛鬼”は業としては余りにもポピュラー。

そんな中で、このような“牛鬼”が観測された事などは一度もなかった。

「変異種か!?」

「もしくは召喚されたか......。」

「どちらにしろ、ぶっ殺ッ!」

章吾が跳躍し、その頭部に拳を叩きつける。

だが、通常の“牛鬼”ならば易々と砕くその拳――『壊れた拳』は、

この異例の事態において、本来の役目を果たせていない。

だが、章吾は拳を叩きつけるのを止めようとはしなかった。

“牛鬼”が目障りなハエを追い払うかのように頭を振るう。

頭上の章吾が振り払われまいと、その角にしがみ付いた。

その間にも、奈央がボブ達の元へ辿り着く。

「ク......嬢ちゃん。また、会っちまったな......。」

ボブが苦痛に呻く。

(傷は意外にも浅い......一般術式で大丈夫かしら。)

奈央が癒しのイメージを組み立てようとするのを、遮る声があった。

明らかに死を目前とした人間独特の幻想に縋る光景。

ボブより離れた場所に無造作に転がる三人の青年達の一人であった。

「かあ......ちゃん......いてぇ......助けてくれ......」

「俺より、あっちを先に頼む......!

あいつ、あの角をまともに喰らってるんだ。」

奈央は頷くと、青年の横へと走りよった。

(かなり、まずい......。)

青年の目は最早、目の前を写してはいなかった。

虚空の彼方に見える、自らが映し出した幻影へと向けて青年は言葉を発していた。

(術式なんかじゃ救えない......。)

一般の術式では、傷の治療にまで時間がかかる。

その間に、患者の精神が限界に達すれば、最早その行為は無意味となる。

そうなった以上、彼女がとる手は一つしかない。

「ボブさん、まだ動けますか?」

「ああ、少しばかりなら......。」

「全員、纏めて救済措置に入ります。

他の皆さんを私の近くへ!!」

そう言うと、奈央は能力を制御するために精神を集中させた。

『聖域』は、破壊を主とする章吾の『壊れた拳』とは違い、癒しの能力である。

広域治療能力――広範囲の体力を瞬時に回復させる能力。それこそが彼女の『聖域』である。



「ウガアアアアアアア!!!」

それは、さながら高速で急降下するジェットコースター。

振り落とされれば、人間の体では耐えることができない衝撃が襲い掛かる。

その為に、章吾にはしがみ付く事しかできなかった。

同時にそうしている事で、確実に敵の注意を自分へとひきつけられる。

そうすれば、奈央が被害者達を安全な箇所まで避難させることもできる 
だろう。

業といえども、所詮は牛。目の前に餌をぶら下げておけば、それに縋る事しかできない馬のような家畜だ。

奈央が目的を達し終えてから、自分はコイツをゆっくりと始末すればよい。

「とはいえ、長時間これだと......胃の中がヤバ......。」


「これで、全員だ......。」

ボブが苦しげに息を吐くと、その場に倒れこむ。

奈央はそれを目にすると、鍵となる言葉を紡ぐ。

「『聖域(サンクチュアリ)』――限定解除します!!」

少女を中心に光の波紋が広がっていく。

今も尚止まらない出血も、心臓にまで達する深い傷も、

その全てが優しい光により癒えていく。

まさに、その光の中は安息と平穏を与える聖域であった。

その光を見ると同時に、一匹の獣が解放された。


ガキン――。

自らの能力を使用し、青年が捕まっていた角を力任せに握りつぶす。

その苦痛に、“牛鬼”が咆哮を上げる。

「奈央、ごくろうさん!

動けるなら、さっさと安全地帯にまで撤収しな!!」

「章吾も気をつけて!!」

章吾が『壊れた拳』を解放する――

しかし、予想された鈍い音は響きすらしなかった――。

術式防御壁が章吾が放った衝撃波を霧散させる。

「冗談、きついぜ!!!」

その瞬間、“牛鬼”はその巨体を力任せに振り回す。

手を離していた章吾は堪らず宙へと舞った。

ヒットを狙う打者のように“牛鬼”の巨体が青年に叩きつけられる。

有り余ったパワーは、そのまま彼をゴミ袋が立ち並ぶ壁へとたたきつけた。


驚いていたのは、吹き飛ばされた当人だけではない。

奈央もまた、驚きのあまりに動けないでいた。

“牛鬼”が奈央の方を向く――。

「私が、彼らも守らないと――!!!」

奈央が詠唱を開始するよりも早く、“牛鬼”が接近する。

(間に合わない!!!)

「Ohhhhh!!!」

奈央の前に一つの巨体が立ち塞がる。

「嬢ちゃん、俺が時間を稼ぐ。

後から、サポートを頼むぜ!あんたの相棒が目覚めるまでな!」

彼女の前で壁となったボブに対し、奈央は頷くと詠唱を開始した。

(それに、俺達にはもう一人頼れる奴がいる――。

そうだろ、ソウルブラザー!!)


しかし、ボブは訓練を受けていない生身の人間である。

一般人にとって脅威以外の何者でもない業を相手にするのは人間同士のケンカとは訳が違う。

ボブが“牛鬼”の巨体をその身にまともに受ける。

苦痛の悲鳴が夜の街に響き渡った。


悲鳴がどこからか聞こえた気がした。

あれから、浩介はそのままホテルの壁に寄りかかっていた。

「いい加減、中に入らぬか?」

「桜花だけ、先に寝ていいよ。」

「......そういう訳には行かぬよ。」

桜花が浩介の横に座る。

「気にしておるのか?」

「俺は戦力外――まぁ、妥当な判断なんだろうけどさ」

「そう取るのも自由だ。だが、あの娘からは悪気など一片も感じられなかったぞ。」

浩介が唇を噛み締める。

「だから――余計に辛いんだよ!!!」

「なら、何を止まっている。」

桜花は立ち上がり、浩介の肩に手を置いた。

「悩んでいる暇があるなら、動いてしまえ!

お前がどんな道を進もうが、私はお前の剣である事に代わりは無い。」

「桜花は俺の剣――。」

桜花が頷く。

「ああ、お前の味方でいてやる。」

浩介が桜花の手を握った。

考えていた事が伝わったのだろうか。桜花が刀へと姿を変える。

「あんな奴でも、友達らしいからな。」

「ならば、出陣と行こうじゃないか!!業という化物を狩る舞踏会(マスカレイド)だ!」

浩介が夜の街を駆け出す。


ボブの体力も限界であった。

肝心の章吾は起き上がる気配は全く無い。

「ボブさん、回復を!」

奈央がボブの元へと駆け寄る。

一番いいのは章吾を回復させる事だった。

だが、“牛鬼”の巨体によりそこに至る道は完全に断たれている。

「クソ――俺に、力があれば!!」

ボブが歯痒く舌打ちする。

巨体が迫る。

ボブが立ち上がろうとするが、それよりも早く弾き飛ばされる。

巨体が目指すのは奈央――ただ一人。

『誘うは――!!』

術式の構成よりも早く、“牛鬼”が接近する。

奈央が恐怖感に耐えられず、目をつぶる。

しかし、彼女にぶつかる衝撃は全くなかった。

金属音のぶつかり合う音。ただ、それだけの音が数秒の間、世界を支配していた。

奈央は目の前に信じられない光景を見る。

その場に現れるはずが無い第3の男。

ボブが感嘆の声と同時に叫び声をあげる。

「やっぱり、お前は最高だ――!!」

「理由なんて要らない、俺は――お前をぶっ潰す!」


葛西浩介が刃を構え、そこにいたのだから――。


残された片角を桜花で押さえたまま、その頭部へと蹴りを食らわせる。

その反動で、浩介は奈央を片手に抱えたまま背後へと跳躍した。

「どうして、来たんですか......。」

奈央が浩介に抱えられながら言葉を発する。

「放っておけなかったから。」

「言ったじゃないですか。進んで、その手を血に汚す必要なんて無いって!!」

少女の声が、大きくなる。

「どうして、束の間の平穏すら拒絶するんですか......?

その平穏すら得られない人達が、どれだけいるかわかってるんですか!?」

「ヒステリってんじゃねぇよ。」

一つのゴミ袋が上方へと投げ出される。

「章吾、無事だったの!?」

「当たり前だろ、バーカ。少し意識が飛んでいただけだ。」

章吾が、ゴミ袋の中から這い出て、奈央のほうへと近づく。

頭から軽い出血をしているが、傷自体はそれほど深くはないらしい。

「戦いのイロハがわかってないから、戦線には立たせられねぇ?

ならば、どいつもこいつも何時までたっても戦線には立てねぇな。

頭で覚えるんじゃねぇ、体で覚えるもんなんだよ!!!」

章吾がふらつきながら、浩介の横に立つ。

「葛西浩介。テメェに覚悟はあるか?

本当のことを言うとな、篠崎にはこう言われてた。

来るべき決着までに、決断する時間を与えてやれってな。

でも、お前は知ってるんだよな?お前が相手をする奴の事。」

「断罪者――。」

「そう、断罪者だ。

ソイツと戦う覚悟さえ、出来ているなら――止めるだけ、無駄って奴だ。」

「浩介には覚悟はある。

いくら迷おうとも、根底にある信念だけは歪みはせんよ――。」

桜花が浩介の言おうとしていた事を口に出した。


章吾が“牛鬼”のほうへと向き直る。

「敵を倒すのに頭を使う必要はねぇ。下手に考えてるほうが、返ってしくじる物さ。

強力な奴をどれだけ、ぶち込めるか。そして、自分がどれだけ耐えていられるか。重要なのはその2点だけ。

どんなに強い防御だろうが、同じ場所に連続して叩き込めばダメージは蓄積する。」

「つまり、俺とあんたの攻撃を――」

「そう、重ねてぶち込むぜ。まずは俺から――。」

章吾が走るよりも早く、浩介が駆ける。

「俺の攻撃――繋ぐのは任せた!!!」

章吾がため息をついて、体勢を整える。

「しょうがねぇな、任されてやんよ!!!」

疾――

浩介が一陣の風となり、“牛鬼”へと襲い掛かる。

そこには、最早躊躇いなどは微塵もない――。

「桜花!!」

呼びかけに応えて、浩介と桜花のシンクロ率が高まっていく。

「応!煌きの刃よ!!」

鞘から放たれた刃は光となり、“牛鬼”の片角を砕いた。

「上出来だ!でも、俺より目立つんじゃねぇっての!」

浩介の上空を章吾が駆ける。

「さぁ、ワン、ツーフィニッシュと行こうじゃねぇか!」

その声に呼応して『壊れた拳』が解放される。

「狙うは――ただ一点!!」

「外しなどせぬ!!」

煌く刃と無慈悲なまでの破壊の衝撃が二重奏を織り成した。

ルオオオオオオオ――!!!

“牛鬼”が虚空へと向けて咆哮する。

その叫びにより生み出された術式防御壁が、破壊の調べを圧しとめようとする。

「『誘うは氷滴の飛礫』――」

ゆっくりと力ある言葉が紡がれた。近くではなく遠くから――。

「私も忘れないでよね♪」

遥か遠方より飛来した氷の矢が“牛鬼”へと突き刺さる。

例え、巨体とは言え――例え、術式防御壁を持とうとも――低級の業にすぎない牛鬼に、この一撃を止める術などない。

3つの巨大な力は敵を飲み込み、存在自体を灰燼へと化した。



三人とも、まさに肩で息をしている状態であった。

「ふぅ......死者数は?」

「なんとか、ゼロ。」

「そっか、よく頑張ったな。」

章吾が奈央の頭を、わしゃわしゃとかき撫でる。

「やめてよ、子供じゃないんだから!」

「体型だけ見りゃ子供......グガハッ!!」

奈央の蹴りが章吾の急所に直撃する。

「おま......限度......ての、理解して......下さい......。」

「馬鹿は放っておいて......浩介さん、さっきはごめんなさい......。」

奈央が項垂れる。

「あなたの覚悟を無視して、私は自分の感情をぶつけてしまった。」

「気にせんでいいと思うぞ。

そんな言葉で揺らぐほど、こいつの思いは柔な物ではないからな。」

「だから、なんで俺でなくお前が答える。」

浩介の突っ込みは、いつもどおり黙殺される。

奈央が笑う。

桜花も笑う。

浩介は一人バツが悪くなったが、半ばヤケであろうか笑い出した。

「まぁ、一件落着――てとこか。」

いつの間にか復活した章吾が呟いた。

「そうだね。」

「さてと、もう一つの仕事......だな。」

「明日の朝一で迎えに来るから、準備はしておいてね。」

「ああ、わかってる。また、明日な。」

奈央が手を振りながら、去っていく。


浩介もまた、その手を握り返した。

「これで、俺達は――戦友だ。」

あの時と同じ言葉が自然と口から滑り出す。

月が、優しく彼らを照らしていた――。



  * * *



惨劇が嘘のように、夜は過ぎていった。

血のように赤い『鮮血の満月』が町を照らす。

「戦場を照らす鮮血の月――予言通りに事は進んでいるようですね。」

一人の男が無人のカフェテラスに座っていた。

森に近い、小高い丘の上にあるその場所からは、グランドエイトが良く見えていた。

「しかし、予言通りといえども、先の見えない予言。

我らが騎士の手を煩わせる必要があるかを見極めるつもりでした 
が......。

やはり、院は首を突っ込んでくる。」

男を形容する言葉は一つをおいて他にはない。

『漆黒』――男は黒いスーツに漆黒の髪を持ち、闇の中に存在していた。

手に持っているのはコーヒーカップ。しかし、カフェで一杯をしゃれ込む時間はとうに過ぎている。

「あの程度の相手ならば、非合法どもで十分ともいえますが。

ですが、それでは折角の楽しみも満足に味わえない。」

赤い月が男をゆっくりと照らす。

そこに写された男の影が次第に大きさを増していく。

その色は限りない深遠。その大きさは男をも隠してしまう、まるで夜の闇のように――。

男が影の中へとゆっくりとその身を落した。

「フフフ――もう少し楽しませてもらいますよ。」

男は闇の中へと溶け込んでいった。

ただ、そこに残されたのは空になったコーヒーカップ、そして不気味なほどの静寂だけ――。

赤い満月もまた、いつしか優しき色へと変わっていた。
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