――戦争。
西暦二二〇〇年を迎えるまで人類にとってのその言葉は、同じ人間と人間との争いのみを意味するものだった。
二十世紀末の東西冷戦構造の崩壊を契機に世界各地でくすぶり始めた慢性的な地域紛争と、新秩序構築の過程で自国 の権益を守ろうとする大国間の水面下での衝突。
国家や民族といった旧来の枠組み、それによって生じる対立は、科学技術の進歩によってより複雑化することはあっても 解消されることはなく、さらに急速な人口増加による地球環境の悪化と資源の枯渇が、それらに一層の拍車をかけた。
二十一世紀後半には、地球に住む全人類の人口は百億人を突破し、地球という惑星の許容限界に達する。
絶望的な状況の中で発展を抑制され、世界経済は停滞した。
この頃から欧米や日本などの先進諸国は、閉塞した状況を打開するための一つの方策として、限界を迎え疲弊した地球 より外側、すなわち宇宙に目を向けるようになる。
月面への恒久都市の建設、火星と金星のテラフォーミング(緑化)、地球周辺の各ラグランジュ・ポイントでのスペースコロ ニーの建造と運用や、宇宙開発に使用する物資を輸送する手段としての軌道エレベーター、マスドライバーの整備など、 宇宙進出の足がかりを築くための数々の大規模プロジェクトが検討され、そのいくつかは実際に各国の議会で予算使用が 認められて、実行に移された。
宇宙船建造技術の向上から火星以遠の太陽系外惑星への有人探査も進み、二一〇〇年代からは木星圏、二一二〇年 代からは土星圏の衛星での、各国による資源採掘と殖民都市の建設が始まり、国連の『人類宇宙移民計画』に基づいて、 数万人の開拓団が送り込まれた。
二一四五年には、惑星としては太陽系で最も外側に位置する冥王星への日米共同の探査計画が成功し、ここに人類は 太陽系を征服する。
さらに四七年に宇宙船の超光速恒星間航行を可能にするワープ・ドライブが発明されると、太陽系外への進出が容易とな り、列国の宇宙開発競争、『大航海時代』が幕を開けた。
だがここで注目すべきなのは、この時期に推進された宇宙開発は、かつてと規模や技術の程度こそ違え、その基本精神 においては、いずれも二十世紀から継続されて来た学術的な宇宙開発計画の延長に過ぎなかったということだ。
二一〇〇年から二一五〇年までに地球から宇宙に渡った人々の大半は、惑星の探査やスペースコロニーの建造などに 必要な専門知識をもった技術者・研究者や、開発を主導する政府・軍や企業の関係者とその家族達であり、その数は決し て多くは無かった。
これらは戦略的には主に資源確保を目的とした人材の派遣であり、地球が抱えるもっと根本的な問題、すなわち人口増加 問題を解決するための本格的な人類の宇宙への移住は、膨大な費用と時間、労力、それに何より実際に移住させられる 人々の同意を必要とするため、この時点ではまだ政治的にも経済的にも、実現は難しいと考えられていた。
そうやって二十二世紀が半ばを過ぎ、さらに世紀末に差し掛かってもなお、世界は昔の人々が夢見ていたような美しい未 来とは程遠い、混沌の中にあった。
各地の宇宙植民地で資源採掘プラントが稼動を始め、地球周辺のスペースコロニーからは地上では生産不能な工業製 品が供給されるようになってはいたが、地球本土の深刻な資源の枯渇による世界的な経済の停滞を前にしては焼け石に 水だった。
食糧不足からアジア・アフリカなどで大量の餓死者が出たが、新しい出生数はそれをはるかに上回り、人口は増加の一途 を辿った。
このように地球を主たる住処とし続けることに限界を迎えていた人類を宇宙進出のさらなる一歩へとその背中を押したの は、戦争という、人類が伝統的に繰り返してきた業の結果だった。
閉塞した世界での苛烈な競争に耐えられず二つの大国が相次いで崩壊し、そこから収拾のつかない戦乱へと発展したの である。
まず二一五〇年、二十年前の金星テラフォーミング失敗で莫大な負債を抱え、経済危機に喘いでいたロシアで軍部のク ーデタが発生してロシア連邦が崩壊、以後各地に乱立した軍閥政権が抗争を繰り広げ、欧州連合各国がこれに介入し て、ロシア動乱と呼ばれる長い内戦が始まった。
次いで二一五九年、共産党の自由化政策が行き詰った中国が、経済格差の拡大に不満を持つ貧しい内陸部出身兵士 の蜂起をきっかけに、沿岸部と内陸部に分裂した中華内戦に突入。
この内戦では内陸部側に成立した『中華社会主義共和国』が抵抗する都市を攻略するために核兵器を使用するなど一般 市民の大量殺戮が繰り返され、開戦後の一ヶ月で三十億人の人口の約三分の一にあたる九臆人が死に、地球環境へも 測り知れないダメージを与えた。
またこの頃から宇宙開発競争の中で次第に利害が対立するようになっていた日本とアメリカが、沿岸部に『中華民主連合』 と『中華共和国』というそれぞれ別の政権を擁立して対抗しあう形で参戦、内戦をさらに複雑にした。
日米の介入によって中華内戦は宇宙での国家間対立の構図が初めて地上での戦争に持ち込まれた代理戦争の様相を 呈し、内陸部の『中華社会主義共和国』を合わせ、三つ巴の争いとなる。
さらに二一七八年には、アフリカ諸国によるAF(アフリカ連邦)構想による影響力低下を懸念した欧州連合が、テロリスト支 援国家の殲滅を口実にアフリカに侵攻、北アフリカ戦争が勃発した。
二十二世紀後半に相次いで起こったこれら三つの戦争が、それまでの宇宙『開発』が宇宙『移民』へと変容する決定打と なった。戦争がもたらしたもので最も深刻だったのは、戦死者の多さよりもむしろ環境悪化ともう一つ、戦争によって生じ た、史上類を見ない膨大な難民の発生である。
ただでさえパンク状態の地球上にもはやこれら難民を受け入れる余地は無く、対応に窮した国連安保理は、難民を先進 諸国が管理する宇宙植民地へ強制的に移住させるという異例の決定を下した。
最初は、戦争によって国を追われた難民だけに対象を限定した強制移住で終わるはずだった。
だがこの出来事をきっかけに、国連の『人類宇宙移民計画』は、自発的な移住を支援していた従来の平和的なものから、 地球環境をこれ以上悪化させないために、許容限界を超えてしまった人口を強制的に宇宙へ移住させる、列国の軍事力 を背景とした強硬なものへとその性格そのものが変質していく。
当然、地球全土で激しい抵抗が生じた。
遠い祖先から受け継ぎ、文化を育んで綿々と住み続けてきた慣れ親しんだ土地を追われ、宇宙に移住させられるなど、地 球で暮らす多くの人々にとっては到底受け入れがたいことだったのだ。
また、国連安保理が強制移住を推進するための諮問機関として設けた宇宙開発管理委員会が先進国の代表のみによっ て構成され、その裁定が全ての国にとって公正では無かったこと、人口過多とされ強制移住の対象になった地域が発展 途上国ばかりであったこと、さらに宇宙船の打ち上げや、移住先のコロニーの整備などにかかる莫大な費用が、強制移住 の対象となった国の負担とされ、費用を肩代わりして強制移住を実行する先進国に対して、それこそ天文学的な時間をか けても返済しきれない負債が課されたことなども、強い反発が起きた理由だった。
アフリカや中央アジアのいくつかの国は武力に訴えてこの強制移住に抵抗して、強制移住を実行しようとする国連軍と、そ れを拒否する民衆や現地政府軍との軍事衝突が起きた。
北の先進国と、南の発展途上国との戦いであったことから、強制移住に伴って発生した一連の騒乱をまとめて『地球南北 戦争』と称することもある。
国を挙げて徹底抗戦したために懲罰として国民全員が強制移住されたスーダンや、欧州軍から移住に同意すれば金星 居住区に独立国家を建国することを認めると約束されて抵抗を止めたのに、結局は約束は果たされず太陽系各地に散り 散りにされたクルド人など、強制移住の過程では数多くの民族的悲劇が生まれた。
それだけでなく、移送中の宇宙船の事故が多発し大量の犠牲者を出したことや、移民収容のために建設された急ごしらえ のコロニーの放射線防護が不十分で、有害な宇宙の放射線を浴びて多くの人々が障害に苦しんだことなどから、この強制 移住は『涙の旅路』と呼ばれ、古代オリエントで圧制を敷いたというアッシリアの横暴にさえ例えられた。
こうして激しい抵抗と多くの混乱の末最終的には先進国の思惑通りに成功した強制移住は、一方で、各地の抵抗を鎮圧し ていく中で地球を四つの大きなブロックにまとめる結果となった。
二一七九年に欧州連合が北アフリカ及び中東諸国を糾合してMETO(地中海条約機構)を結成し、旧NATOに代わる独 自の軍事同盟をつくったのを皮切りに、二一九一年にはアメリカがカナダ・中南米諸国・太平洋島嶼国を統合したUAS(米 州連合)を、同年アジアには日本・中華民主連合・インド・ASEAN諸国を中心としたEAC(東アジア連合)が結成された。
ロシアではロシア動乱の後、ロマノフ王朝の末裔を自称するアレクサンドル・ロマノフが登場した。彼は極右政党のスラブ 統一党を率いて各地の軍閥を打倒、分裂していたロシアを再び統一し、六四年に独裁国家『正統ロシア共和国』を建国。 対外的にはパン・スラブ主義を掲げ軍事力を増強、カレリアやベッサラビア、カスピ海沿岸など欧州連合諸国に占領され ていた領土を次々と取り返し国民の熱狂的な支持を得、その後も隣国のウクライナ・ベラルーシを併合して国土を拡張さ せ、二一六九年にカリーニングラードの返還を要求、欧州連合との間で露欧戦争を行なうなどして勢力を拡大。再び世界 全体に影響力を持つ大国の一つに数えられるまでになった。
これら『四つの大国』が常任理事国として国連を動かし、強制移住は推進された。
強制移住の執行という大鎌を振るうことで、実質的な世界統治機関として権力が肥大化していった国連安保理・宇宙開発 管理委員会。やがてその運営を巡って、最初は共通の目的の下で結束していた四大国は、利害対立を深めていくように なる。
二十二世紀最後の年である二一九九年、水面下で対立してきた四大国が、ついに互いに牙を剥く日がきた。
それまでにも世界各地で悪質な反日テロを繰り返してきた中央アジアのイスラム系テロ組織が、中央アジア地域の権益を 巡って日本・正統ロシアと対立するアメリカから密かに支援を受けて、親日中国政権である中華民主連合の中心都市香港 で戦術核爆弾を炸裂させたために、香港に居住していた多数の在留邦人が犠牲になるという事件がこの年発生。
時を同じくしてやはりアメリカと同盟する朝鮮半島南部の大韓民国が、日本と正統ロシアが共同で管理していた朝鮮半島 北部地域の領有権を主張し、この地域へ侵攻した。
この二つの事件でアメリカに激怒した日本が報復として親米中国政権の中華共和国及び韓国への経済封鎖を実行する と、アメリカは封鎖は不当であると即時解除を求めて、日米両国が分割統治する火星の境界線に部隊を配備して日本を 軍事的に威嚇。
火星に駐留する日本陸上自衛軍守備隊もすぐさま出動して米軍部隊と対峙し、さらに日本と同盟関係にある正統ロシア、 欧州連合内で反米路線を取るフランス・ドイツも日本の動きに呼応して火星上空に宇宙艦隊を集結させ、両国間の軍事的 緊張は、瞬く間に全太陽系に飛び火した。
地球でも、各国が臨戦態勢に入った。
前線で睨み合う両軍の指揮官は、どちらが先制攻撃の一発を撃つか、息の詰まるような心理戦を展開していた。
最後の国家間協調の砦であった国連安保理はその機能を完全に停止し、水面下では、まだどちらの陣営につく意思表示 をするか決めかねている中立の国々に対して、両陣営の外交官達によるお定まりの熾烈な囲い込み合戦が繰り広げられ ていた。
衛星軌道上に並んだ宇宙戦艦の砲門が、密かに飛び立ったステルス爆撃機が、地下に隠された核ミサイル発射基地が、 海中深くの戦略原潜が、互いに相手の陣営の主要な都市と軍事拠点に照準を合わせ、開戦に向けた破滅的な秒読みを 始める。
一触即発の危機に、誰もが世界大戦を覚悟した。
一度動き出した戦争の歯車は、誰にも止めることはできないと思われた。
だが、両軍が互いに砲火を放とうとする、その寸前。
誰もが予想もしなかった形で、大戦は唐突に回避された。
――ファースト・コンタクト。
それは、未知の地球外生命体の襲来という、人類の歴史が始まって以来、かつて経験したこともない事態だった。
年が明けた西暦二二〇〇年一月、世界を二分した戦いの火蓋が切られようとするまさにその直前に、思わぬ闖入者の登 場が、それまでの争いの全てを休止させ、そしてより遥かに大きな、人類にとって未曾有の戦いの幕を開けたのだ。
始まりは、九九年の末、太陽系から14.81光年離れた白鳥座V1581星系アンジェラスで地球型惑星の探査にあたってい た米系宇宙開発企業の調査チームより米本国への、『未知の敵』による襲撃を受けているという緊急通信からだった。
時をおかずして、日本やEUなど他の国の調査チームからも、同様の報告が飛び込んできた。
最初の内は、各国の本国政府はこれらが本当に地球外生命体の襲撃であるとは、信じようとしなかった。
勿論、エイリアンが攻めてくるなどということはSFの世界だけの産物だと、一笑に付した訳ではない。
人類が地球外生命体と遭遇する可能性についてはそれこそ二十世紀から政府や民間の様々な機関が公式レベルで検討 してきたことだったし、二十二世紀初頭には米国政府が国防政策の骨子である国家安全保障戦略の中で、『宇宙進出の 過程で未知の脅威が出現するリスク』について言及し、この脅威に備えた本格的な宇宙軍の創設を、世界各国に先駆け て行なっている。
だが、机上論としての備えはあっても、実際に人類が初めて宇宙に進出してからこの時まで二五〇年間にわたって、人類 以外の何とも遭遇しなかったという歴史が、人類の外宇宙から訪れるかもしれない脅威を想像する力を鈍らせていた。
しかも折からの軍事的緊張で、各国間の疑心暗鬼が高まっている最中である。
それまで一度も存在が確認されたことの無い地球外生命体が攻めてきたという報告を真に受けるよりも、身近で慣れ親し んだ仇敵、すなわち同じ人類の仕業だと疑う方が遥かに現実的だと思われたのは、仕方の無い事だった。
当初、各国はこの事態を、エイリアンの襲来に偽装した敵側陣営の破壊工作に違いないと互いになじり合った。
攻撃は双方の調査チームが受けていたのだが、そこはお互いに相手の『自作自演』だと一蹴した。
この時の人類には不幸なことに、各国がそれぞれ受けている攻撃について、全体で正確な情報を共有できるチャンネル が存在しなかったのだ。
だが、そうこうしている内にアンジェラスの各国基地からの連絡が完全に途絶え、さらに軍事的緊張には中立だった国のも のも含めた中継ステーションが次々と無差別に攻撃されて沈黙していくに至って、さすがの各国政府も首をかしげ始める。
それでも対応は遅れに遅れた。
無意味な政治的駆け引きと小競り合いの末に敵対する国々の情報機関の担当者達がようやく一同に会して、現状を把握 するための情報の『部分的な』共有を実現させるために実務的な協議に入った頃には、人類は既にこの正体不明の敵の 攻撃によって、四つの恒星系を失っていた。
事態の真相解明のための実務レベルでの非公式協議は難航する。
協議が進むにつれ、各国代表は誰もが狐につつまれたような気分になっていた。
この世界の裏の裏まで知り尽くしているはずの、熟練した情報収集の権威達・・・アメリカのCIA、英国のMI6、ロシアの SVR、フランスのDGSE、この手のテロ情報に精通したイスラエルのモサドでさえ、外宇宙で発生している一連の異変につい て、何の秘密も握っていないことが明らかになったのだ。
そこから得られる結論は一つだった。
人類世界に存在するいかなる国家や組織も、この事態に関与していない。
協議の結果に、各国政府首脳は動揺し、困惑した。
当初疑われていた、どちらかの陣営による偽装破壊工作でもなければ、宇宙に強制移住させられた植民地の住民や本国 政府に不満を抱く現地守備隊などの、地球からの独立を求めた反乱でもない。
――では一体、何者が?
そして新しい世紀を迎えた、新年。
入植が本格化していたシリウス星系の外縁に出現した異形の船団を、ついに民間放送局のカメラが捉え、全世界に報道し た。
もはや機密などあったものではない。
『未知の敵による襲撃』という最初にもたらされた報告を、地球の国々も信じざるを得ない状況になった。
軍事的緊張で機能停止していた国連もようやく重い腰を上げ、この謎の船団と意思疎通を図ろうと、専門家を乗せた船を 派遣し、接触を試みた。
だがTV中継を通じ全世界が見守る中、その船は一瞬で撃沈される。
未知の来訪者は交渉を拒絶し、はっきりと交戦の意思を示したのだ。
初めて人類に、本物の衝撃が走った。
ここへ来て国連及び各国政府は、この『外宇宙方面異常事態』を、地球外生命体による人類への侵略行為と断定するに 至った。
一月三日、国連安保理が非常事態宣言を出したのに続いて、人類全体の問題であるという認識から、国連総会が緊急に 召集された。
全加盟国が出席したこの緊急総会で、国連のホイットモア事務総長は『諸国民戦争』(日本政府訳では『人類防衛戦争』) を提唱し、人類の大同団結を呼びかける。
人類世界で現在行なわれている全ての紛争・対立の即時停止と、各国宇宙戦力を結集した国連宇宙軍の結成を柱とした 『人類同盟条約』が、全会一致で採択された。
こうして世界は瞬く間に、それまでの対立から共闘へと態勢を移行していく。
シリウスでは、フランス入植地がある第六惑星テルモピレーに地球外生命体の大群が迫っていた。
これを迎え撃ったのは、前年までの軍事的緊張でフランスと敵対し、威圧のために入植地上空に展開していた米国宇宙 軍艦隊だった。
フランス入植地を砲撃できるよう地上へ向けていた砲を一八〇度転回して、米艦隊は人類の共通敵に立ち向かった。そ の結果米艦隊は全滅したが、フランス入植地の住民は米艦隊が戦闘で稼いだ時間で、脱出することができた。
このテルモピレーで米軍がフランスのために行なった自己犠牲的な戦いの知らせに、全世界が奮起した。
「テルモピレーを忘れるな」を合言葉に長らく敵対してきた四大国が固く手を握り合い、人類団結の気運が高まる。
実際、コスモポリタニズムがここまで高揚したことは、人類の歴史上かつて無かっただろう。
同じ種族同士で殺し合いを続けてきた人類を初めて心から一致団結させたのは、皮肉なことに融和や進歩的思考の成果 などでは無く、宇宙からの共通敵の出現だったのだ。
それは人類が互いに争う歴史を終わらせたという点では、確かに喜ばしいことだったのかもしれない。
だがその代償は、とても大きかった。
一月十五日。シリウス星系最大の拠点である第四惑星エルトラドを防衛するために各国が総力を結集した国連宇宙軍艦 隊が、未知なる敵に決戦を挑んだ。
艦艇総数、三百四十隻。
空前の宇宙戦力を投入したこの会戦はしかし、人類側の大敗北という結果に終わった。
地球外生命体の戦闘能力は国連宇宙軍のそれを上回っており、何より攻め寄せるその数が、圧倒的に多かったのだ。
たった一度の決戦で主力艦隊を喪った国連宇宙軍は、組織的作戦行動が不可能となり事実上壊滅。
シリウスを始め他恒星系の制宙権奪還を断念して太陽系まで退却、外縁のオールトの雲に点在する小惑星を要塞化して 防備を固め、これらを『絶対防衛圏』と定めて守勢に回る。
地球外生命体も、何故かこの時は太陽系へ侵攻しようとはせず、以後数年間、両者の戦いはオールトの雲を挟んでの小 規模な戦闘のみとなり、戦局は膠着状態が続いた。
突如人類に立ちはだかったこの地球外生命体がどこからやって来たのか、一体どのような存在なのか。様々な科学者が 研究を重ねたが、実態の解明はいっこうに進展しなかった。
また、どうやってこれを撃退するか、確たる方策も見つからなかった。
ただ、その呼び名だけは、どこからともなく生まれて、人々の間に広まっていった。
人々はその未知の侵略者を、レギオン(群魔)と呼んだ。
由来は、新約聖書・マルコ五章九節に登場する悪魔。
――大勢であるが故に、である。
膠着状態で束の間の平穏を取り戻した地球圏では、最初、来るべき〈レギオン〉との決戦に備え、総力をあげての軍備増 強が行なわれるはずだった。
特にシリウス戦役で壊滅的な打撃を受けた国連宇宙軍艦隊の再建は、人類にとって急務であるはずだった。
しかし、長い膠着状態、〈レギオン〉がいつまで経っても本気で太陽系への侵攻を開始しないことが、人々の危機感を次第 に薄れさせていった。
一時は何時間も特番を組んで、人類滅亡の危機だと世論を煽り立てていたマスコミの〈レギオン〉報道はすっかり下火にな り、パニック状態になった群衆が押し寄せて保存食を買い漁ったスーパーの食料品売り場も、客足はすっかり元通りに。
内太陽系に暮らす人々の生活はそれまでの日常を取り戻し、太陽系の外側で起こっていることには無関心になった。
世論を反映して各国の議会は〈レギオン〉対策の予算を削り始め、国連が提唱した軍備増強計画も最初こそ多くの支持を 集めていたが、次第に各国が費用の供出を渋り始め、尻すぼみになっていった。
危機感が薄れれば、それによって生まれた団結も薄らぐ。
国連宇宙軍の主導権を巡る対立で、一度は大同団結を誓った各国の足並みは、早くも乱れ始めていた。
人類間の紛争の凍結を謳った人類同盟条約も、その後四大国の間で密かに結ばれたプラハ協定によって大国のご都合 主義にとって換えられ、『諸国民戦争』の精神は骨抜きにされた。
――喉もと過ぎれば、熱さを忘れる。
だが、人々が忘れようが忘れまいが、オールトの雲の一歩外側は〈レギオン〉の勢力圏であり、そして〈レギオン〉が人類と敵 対しているという現実にいささかの変わりも無いことに、彼等は気付くべきであった。
そうやってファースト・コンタクトから約六年が経過した二二〇五年の冬。〈レギオン〉の大群が突如として、太陽系への侵攻 を開始した時。
人類にはもうかつてのような、団結の気運は残っていなかった。
二二〇五年 十一月二十八日
土星圏 日本国信託統治衛星タイタン上空 高度五〇〇〇km タイタン宇宙港第四区画A埠頭
航宙自衛軍・高雄級重巡宙艦〈白峰〉
エアロックが開き、大気圧と重力が保たれた白峰の後部格納甲板にシャトルがゆっくりと進入してきた。
駐機スペースへ誘導するために甲板要員が駆け寄り、奥のハンガーデッキに並んだ艦載機を点検する整備隊員達が、一 様に顔を上げる。
開かれたシャトルのハッチから、タラップで甲板に降りてきたのは、純白の士官服に身を包んだ、二名の若い女性将校だ った。
先頭に立つ長身の将校の艶やかな黒髪が、空調装置がつくる風になびいて揺れる。
その胸にきらびやかに輝く金色の参謀飾緒を見て、隊員達は揃って姿勢を正し敬礼した。
敬礼された二名の女性将校――航宙主任幕僚の藤沢詩織一等宙尉と、幕僚付副官の天崎春実二等宙尉はさっと答礼 を返すと、足早に上層階の艦橋区画へと向かった。
白峰下部艦橋三階から半球状に突き出した超光速通信指令室は、タイタン土星防衛隊の旗艦である白峰に独自に加え られた改装の一つである。
軍艦マニアから『ハイテク艦』と呼ばれる最新鋭巡宙艦の美しいシルエットの中で唯一不恰好に見えるその部分には、超 光速通信用の巨大なアンテナ・アレイがそっくり収納されているばかりでなく、複雑かつ精密な通信の暗号化及び解読用 の電算機までもが設置されていた。
地球本国・市ヶ谷にある航宙幕僚監部や、火星の連合自衛艦隊司令部など、航宙自衛軍の内地上層部から土星防衛隊 への一切の指示や連絡は、高度な暗号処理を施された専用の超光速回線を通じてここへ送られ、受信・解読された後、 地上の総監部に転送されるのだ。
先日のヘイリーとの通信も、ここで受信していた。
通常、航宙自衛軍が保有する巡宙艦の通信管制システムは、艦隊間通信に用いられる『タックネット』から、『リンク14』と 呼ばれる戦術情報のデジタルデータリンクシステムまで、全ての機能が艦橋基部のCIC(戦術情報センター)に集約され、 通信とレーダーによって収集された情報・記録の処理は、火器管制と同様に全てCICで一括して行なわれる。
しかし、白峰のこの超光速通信システムは、CICとは艦内回線においてすら完全に分離されていた。
本来なら大艦隊の中で航宙母艦や戦艦の随伴艦として運用される事が一般的である巡宙艦が、経費とエネルギーを大量 に食う超光速通信装置を独自に装備する事は確かに例外的であるが、そうであっても通常は管制装置はCIC内部に設置 され、アンテナも内部の航行艦橋部とCICの間にあるもっと安全な場所に収納されるはずのものだった。
そういうこともあって、航宙機戦術が専門で大型軍艦のシステムには門外漢だった詩織は、幹部養成学校を出たばかりの 頃は白峰のこの風変わりな出っ張りを、艦の改装のために地方防衛隊にまわされる予算が少ないためのやむなくの応急 措置なのだろうと思って、見るたびに内心で苦々しく感じていた。
実際に、高雄級重巡はスペック通りであれば敵との近接戦闘時に被弾しやすい艦橋を埋没させて司令中枢への損害を防 ぎ、また大気圏突入を可能にして惑星への降下上陸作戦の支援艦として使えるように最新式の艦橋遮蔽システムを採用し ているというのに、白峰の場合付設された超光速通信指令室が邪魔になって艦橋は遮蔽できず、大気圏突入能力も失わ れるなど、艦の戦闘能力がそがれている。詩織がそう感じていたのも、無理からぬ事だった。
しかし、航宙幕僚に任官して白峰に頻繁に乗艦するようになってから、詩織は総監部情報主任幕僚の黒田二佐からことの 真相を知らされた。
黒田二佐自身が、詩織にこう説明してくれたのだ。
宇宙港に停泊していて一般見学者などに解放されている時こそ自衛軍の最高機密として厳重に封鎖されているCICだが、 ひとたび出港して艦が作戦行動に入れば、乗組員ならばCIC要員でなくても何かと理由を付けて自由に出入りすることが できる。
従って、解読したシグナルをCICの情報セクションを通じて送った場合、専門知識のほとんど無い者でもその気になれば CICの端末から簡単に機密情報を手に入れることができるし、下手をすればウイルス感染などで、知らない内に情報が外 部に流出する事もあり得る。
その点、独立した通信指令室は、白峰のどこよりも機密が安全に守れる場所だ。
しかも暗号化・解読用の電算機が一緒にあれば、メッセージをそこで作成して送り、受信することができる。
特に、通常の戦闘艦としての機能だけでなく、地方防衛隊の旗艦として政治・軍事的に特殊な機密情報を扱うことも求めら れる白峰には、必要な部屋なのだと。
黒田二佐からそういう説明を受けたその年のうちに内太陽系の方で自衛軍の機密文書が含まれた添付ファイルが、関係 者が私用するコンピュータを通じてインターネット上に大量に漏洩する騒ぎが起きた。
情報の漏洩元は、CICに統括されるタイプの最新鋭の通信システムを使った、同じ高雄級重巡宙艦だった。
聞けば、白峰でも通信機能をCICで統括するシステムにしようという話が以前の改装計画で持ち上がっていたのだが、黒 田二佐が大反対して止めさせ、結果白峰の通信指令室は現状のまま残されることになったという。
その通信指令室で、黒田二佐は艦前方に向かって設けられた舷窓の前に立って、白峰の艦首部分を見下ろしていた。
「藤沢一尉、入ります」
分厚い扉の横のスリットに航宙幕僚のIDを通して、詩織が入室する。
「天崎二尉、入りま〜す♪」
続いて後から、春実が無機質な軍艦には不似合いな明るい声を響かせて、元気良く飛び込んでくる。
手元のディスプレイに映る監視カメラの映像で二人が来るのを事前に確認していた黒田二佐はゆっくりと振り返ると、その 甘いマスクに上品な微笑を浮かべた。
「ようこそ藤沢航宙幕僚、天崎二尉。ご足労頂き恐縮です」
敬礼しようとする二人を制して歩み寄ると、手を差し出してくる。
情報将校は変人が多いとよくいうが、ここまで軍のしきたりにこだわらない型破りな人間は珍しいだろう。
特別規律にうるさいというわけではないが根が生真面目な詩織は、少し硬い表情で握手に応じた。
逆に春実の方は、さすがファンクラブの会長をしているだけあって、こうした黒田二佐の奇行には慣れているようだ。
「ちっともご足労なんかじゃないですよ!春実は黒田二佐の命令なら、太陽までだって駆けつけちゃいますぅ!」
上官というより有名タレントに会えた時の『追っかけ』のような満面の笑みで黒田二佐の右手を両手で握ると、力いっぱい上 下にぶんぶん振り回す。
ついさっき「シャトルに乗るのは面倒臭い」と散々愚痴っていたのはどこの誰だと内心でつっこみながら、詩織は例によって 暴走する春実を止めに入る。
「天崎二尉、そのぐらいにしておきなさい。黒田二佐が痛がってらっしゃるでしょう・・・・・・」
身をもって無礼講を奨励している上官の手前「礼をわきまえなさい」とは言えないので、それが精一杯の注意だった。
だが詩織のなけなしの気遣いは、当の黒田二佐の快活な笑い声で台無しになった。
「はははは、太陽までとは光栄ですな。こんな素晴らしい副官をお持ちで、藤沢幕僚がつくづく羨ましい」
「そんなぁ!春実照れちゃいますぅ!!」
春実のオーバーリアクションに比例して、黒田二佐の右手が振られる速さが、ビーム砲の粒子加速器並みの速度で上昇し ていく。
呆れ返ってやれやれと溜め息をついた詩織は、ふと部屋の中にたちこめるほのかな甘い香りに気が付いた。
「あら・・・お香をたいていらっしゃるのですか?」
「はい。丁度良い香木が手に入ったものですから」
黒田二佐は嬉しそうにそう言うと、部屋の隅に置かれた香炉を指差す。
「羅国というタイ原産の香木で、五味の中では『甘』に属します。この情勢下で、取り寄せるのに苦労しました」
「地球からですか?よくこんな珍しいものを・・・・・・」
驚くやら呆れるやらで、詩織は苦笑した。
白峰に乗艦している間、黒田二佐が暇さえあればこの通信指令室に篭もって香をたき、精神を集中させて思考に耽るの は、総監部では有名な話だった。
艦内は火気厳禁のはずだが、乗艦中情報幕僚の監督下におかれるこの部屋は、どうやら治外法権のようだ。
周囲に視線を巡らせば、香炉以外にも、黒田二佐の私物と思われる水墨画や茶器などが、品良く飾られている。
通信指令室は情報幕僚の作業室というより、もはや黒田二佐個人のプライベートルームと化していた。
「相変らず、趣味が良いですわね」
「あまり散らかさないでくれと、この前艦長から叱られましたよ」
詩織の言葉に皮肉めいたものを感じたのか、黒田二佐はそう言って肩をすくめて見せた。
「へえ〜、良い香りですぅ。この中で燃やしてるんですかあ?」
能天気な春実が香炉に近寄って、大袈裟にクンクンと匂いを嗅いでいる。
「燃やす、というほどではないわ。お線香とは違うから」
詩織は苦笑して説明してやった。
「直接火をつけることはせずに、灰と熾した炭団を入れて、その上に銀葉っていう雲母の板を乗せてね、薄く小さく切った 香木を熱して、香りを発散させるの。
熱が強すぎないように銀葉を調節するのがポイントよ」
「おや、香にお詳しいのですな」
詩織の説明を横で聞いていた黒田二佐が、目を細くした。
詩織は、少し寂しげな笑顔を浮かべた。
「・・・・・・子どもの頃、教わったんです」
傍にいる春実に気取られないように、努めて明るい声で答える。
誰に、とは言わなかった。
「そうでしたか・・・・・・なるほど」
黒田二佐は少しの間瞑目して、それ以上そのことには触れようとしなかった。
代わりに春実に微笑みかける。
「天崎二尉は、香はお好きですか?」
幸い、香に夢中になっていた春実は、詩織と黒田二佐の間に一瞬流れた空気にまるで気が付いていなかった。
元気いっぱいに、無邪気な声で即答する。
「はい!春実は、黒田二佐が好きなものならなんだって好きです!」
「おやおや、本当ですか?それはまた、光栄と申しますか、勿体無いお言葉ですな」
「黒田二佐は、どうしてお香が好きなんですかぁ?」
「感格鬼神、清淨心身、能除汚穢、といいましてな」
黒田二佐は香道の心得の中から、特に彼が気に入っている言葉を披露して見せた。
「香を聞いていると、感覚が研ぎ澄まされ、雑念が無くなり、物事の本質がクリアに見えるようになります。
だから何か考え事をする際には、こうやって香をたくことにしているのですよ」
二佐の言葉に、春実が首を傾げる。
「あれ?聞く、じゃなくて、嗅ぐ、ではないんですか?」
「はい、普通はそうですね。ですが香道の場合はちょっと変わっていて、『香を聞く』という言い方をするのですよ」
「そうなんですかぁ!春実、初めて知りました!黒田二佐とお話をしてると、本当に勉強になりますぅ!」
「ははは、知っていてもあまり役に立たない知識ですがね」
春実と談笑する黒田二佐の笑顔を、詩織はちらりと見やった。
見る人を安心させる、優しげな笑い方だ。
この笑顔に釣られて、隊内で春実のようなファンが大勢できるのだろう。
確かに、わからなくも無いが――
「・・・・・・どうかなさいましたか、藤沢幕僚?」
詩織の視線に気付いて、黒田二佐が訝しげな顔をした。
どうやら、知らぬ間に黒田二佐の顔を凝視してしまっていたようだ。
「い、いえ、別に・・・・・・」
慌てて視線を逸らす。
「先輩、どうしたんですかぁ?何だか、顔が赤いですぅ」
春実までが不審そうに詩織の顔を覗き込んでくる。
「どうもしないわよ!それより黒田二佐、そろそろ今日のご用件を伺いましょうか。
まさかお香の講釈をするために、私達を白峰まで呼んだわけではないでしょう!?」
珍しく声を荒げて、詩織は黒田二佐に問い質した。
この二人と一緒にいると、どうも調子が狂う。
それを知ってか知らずか、黒田二佐はどこか愉快そうな顔をした。
「ははは・・・貴女もせっかちなところは相変らずですな。そろそろ地上からのシャトルの二便が着いた頃です。
全員が集まったところで、話を始めたいと思っていたのですが・・・・・・」
「全員?そういえば今日は・・・・・・」
詩織が言いかけた時、扉が開いて見知った顔が入ってきた。
「すまん黒田、遅れてしまった」
「どうも。言っておきますが、私は定刻通りにあちらを出発したのですがね。全く、エレベーターが閉鎖とは聞いてません。 テロ対策を口実にした、内務省の悪質な示威行為だ」
小柄でがっしりとした体躯の老人と、気障ったらしい七三の髪型をポマードで固めた中年男が、それぞれ自分の遅刻につ いて対象的な見解を口にする。
総監部主席幕僚の加藤宙将補と、作戦幕僚の本多一佐だ。
この部屋の実質的な主である黒田二佐は柔和な微笑みを浮かべて、二人に歩み寄った。
「ようこそ、加藤宙将補、本多一佐。こちらこそエレベーターが使えない時に、白峰までお呼び立てしてしまって申し訳あり ません」
そして詩織達に対してしたのと全く同様に、自分より階級が上の二人に対して当たり前の様に右手を差し出す。
「なあに、いつもエレベーターでは感覚が鈍っていかん。やはり宇宙へは、船で上がらんとな」
不思議な事に加藤宙将補は気分を害した様子も無く、黒田二佐の手を握り返した。
「ふん・・・君のことです。どうせこの部屋でしか話せない情報があるのでしょう?」
本多一佐の皮肉っぽい問い掛けに、黒田二佐は含みのある笑みで答えた。
「さすがは本多一佐、察しが良いですな。ささ、どうぞ皆さん、おかけになって下さい」
勧められた会議机の席につきながら詩織は、敬礼ではなく敢えて握手で挨拶をする行為が、これから軍の公式な記録に 残さない協議をすると宣言する際の黒田情報幕僚の暗黙のシグナルであったことを、ようやく思い出していた。 |